レスター伯の限界

なんもかんも政治が悪い......

ちひろの恋と桂馬が作る物語—アニメ『神のみぞ知るセカイ』女神編最終回に寄せて—

 「本当にね、もうね、どんだけ泣けばいいんだよ......」

 

 アニメ『神のみぞ知る世界』の最終回を見終わって、あらためてちひろというヒロインの魅力に打ちのめされています。見逃しているという人は、女神編だけでも大傑作なので、今週の日曜まで視聴可能な11話までのニコ生一挙放送のTSと土曜日夜に更新される最終回(12話)を是非みてください。なんなら、最近UPされた一期二期もみればいい。

  

 

 

 

 

 今回アニメで女神編をみて、そして原作を読み返して(何回読んでも、二日続けて読んでも、19巻は涙無しには読めないわけですが)、色々と神のみの構造のすごさとか、なぜちひろがああいう立場にならざるをえなかったのかとか、今回改めて考えました。僕の中では現時点での一通り考えはまとまったし、まわりでも神のみブームがきているので、近いうちに「神のみUST」をやろうという話になっています。

 

 ただ、見終わったばかりの今は、とりあえず何かをぶちまけておかないとヤバいくらい高まっちゃってるので、ちひろ、そしてちょっとだけ天理にも触れつつ、女神編(特に最終回)の感想を書きます。

神のみぞ知るセカイ 19 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 19 (少年サンデーコミックス)

 

 

 女神編のちひろは結局、「女神がいなかった=攻略対象ではなかった」がためにあの屋上での展開になったわけですが、それと同時に攻略対象ではないがゆえに桂馬と同じ位置に立つことが出来たわけです。最後のライブシーン、構図としては翼がでた女神達はステージの下手側(向かって左)に立っていて(結は中央ですが、カメラ構図的にも下手側より)、上手側(向かって右)からちひろはその姿をみて自分には「特別な物は何もなかった」ことを改めて思い知らされ、涙をながします(あの週のサンデーは今でも大事に保管してます)。

 

 アニメだと特に顕著なのですが、位置的にちひろは女神たち(ルナとミネルヴァ含めて)よりも上手側にはいるものの、正確にはステージの中央に立っています。あの時の2B PENCILSはかのんちゃんを含めたツインボーカルなので、バランス的にはちひろがもう少し右に寄る選択肢もあったはずです。でも、ちひろは中央に立っていた。

 

*詳しい構図は以下のリンクを参照

『神のみぞ知るセカイ 女神篇』12話(最終回)感想 切なくて泣ける完璧な最終回だった:萌えオタニュース速報 

 

 

 この時、上手側にいたのはエルシィと京。この二人は女神編においては殆ど出番がないものの、裏でサポートする役割を果たす二人です。そしてエルシィはご存じの通り悪魔であり、「神」である桂馬をサポートする役割を担うキャラです。

 

 あのステージは神のみの世界における「神」桂馬が、女神を攻略するためのステージの象徴であると考えると、下手側には攻略対象である女神が、上手側には攻略を手助けする悪魔が配置されています。その中にあって、ひちろはその中間、つまり本来ならば桂馬が位置する「神」の位置にいて、『初めて恋をした記憶』を歌い上げるのです。

 

*この理論に従えば、京は女神と神(ちひろ)を繋ぐ天使であると言うことになりますね。京様ファン歓喜。

 

 

 つまり、このライブシーン自体が女神編の構図をまさに象徴的に表しています。ちひろは9話の告白のシーン以降、桂馬という「神」と行動をともにするプレーヤーの位置に立っていました。何となくしかわからないものの、攻略をすることで世界を救うことを決断した桂馬を後押しすることに徹する。

 

 歩美への告白に際して、きちんと向かい合うように、きちんと恋をするように諭すちひろは、あの時点で桂馬と同じ視点に立っていて、「歩美との恋」に向き合いつつも、桂馬が目的(攻略を完遂すること、翻って歩美を救うこと)を達成できるように動いています。この時点で分かっているんですよね、「神=桂馬」は恋をすることが出来ないのだと。

 

 もちろん、ちひろは情報に欠けが多いし(歩美以外の攻略についてはほとんど知らない)、桂馬という「神」に比べれば、単に「神」の視線の一部を体験したにすぎません。そしてなにより、直前まで桂馬に対して本気で恋をしていたのです。

 

 すべてが終わり桂木家に戻ってきたシーンで、自分の中には何もなかったのかなと問うちひろ。そして何もなかったと告げる桂馬。この台詞、普通に考えれば、「ちひろには女神がいなかった=攻略対象ではなかった」なのですが、ちひろが神の視点を体験し、桂馬が何をしていたのか(一部ではあるが)知った後では、このやりとりは「攻略対象ではない=神(桂馬)にとって重要な対象ではない」という意味と同時に、「『攻略対象=恋する対象』ではない=本当に恋をしていたんだよ」という意味も持ちえます。

 

 

 もちろん、この時の二人は自分の中のある想いを消化しきれていないので、そんなことを考える余裕はなかったんでしょう。桂馬は「今日のバンド...聴くよ、必ず」としかいえなかったし、ちひろも最高のライブを魅せると約束した上で、逆光の中でとっておきの笑顔を見せながら「バイバイ」と告げています。

 

 あの演出は「分かっててもやられる」まさしくガー不な演出でしたが、後光がさしてるシーンからライブまでの一連の流れは、ちひろが一時的に「神=桂馬」と同じ立ち位置を立ったことを表現しているんだと思います。

 

 もちろんあの世界の「神」である桂馬は全然完璧じゃないし、失敗もたくさんするけど、だれよりも真剣に女の子に向かい合っています。そんな桂馬と同じように、ちひろも懸命に真剣に生きて、桂馬とともに女神編を終わらせました。そんなちひろに、最後「神」の立ち位置が与えられた。

 

 でも、当然辛いんですよね。だって、「神」は恋をできないんだから。しかも、ちひろはそれを「神」(桂馬)の視点を体験することによって身をもって知ってしまった。だからこそ、ちひろは桂馬に「バイバイ」としか言うしか無かった。

 

 また、ライブにおいては、ステージという「神」がプレーする「舞台」に立ったのはちひろで、桂馬はちひろを「地上」から眺めるしかなかった。ここで二人の関係が逆転し、桂馬はステージ上の「神」となったちひろに対してあまりにも無力であることを改めて思い知らされてしまいます。

 

 最後、ちひろが涙を流しながら「初めて恋をした記憶」を歌い上げたとき、桂馬は屋上にいました。屋上といえば、女神編においてちひろを「攻略」しようとした「舞台」であり、そこで桂馬は一人後悔を口にし、涙を流します。まさしく、「神」である自分の「舞台」に引きこもるしか無かったわけです。

 

 

 ここまでくると、桂馬とちひろの二人の関係がより明確になります。元々、作者もいっているようにモブとして設計されたちひろは、「神」によって攻略されるべき存在ではありませんでした。だからこそ、ちひろの中に女神はいなかったし、「攻略」の記憶も残っていません。女神が入っている6人と神である桂馬は、元々、同じ舞台に立っていた(それこそギャルゲー的攻略が繰り広げられる神のみぞ知るセカイ)に対して、ちひろは「身分」違いな存在でしかなかった。

 

 つまり、ちひろの恋は、「(人間には)許されざる神との恋」という古代から延々と続く物語の系譜上で展開されていて、他の6人のギャルゲー的な攻略(特に歩美に顕著)とはレイヤーが違います。桂馬にとって、あくまでも恋は手段であり、攻略という目的(性格にいえば攻略によってもたらされる安寧)のために、女神が入っている6人とは特別な関係を築く(攻略する)ことになります。でも、ちひろは1度は攻略対象になったとはいえ、神との特別な関係(攻略)をいつまでも保ち続けることは許されてはいないのです。

 

 ただ、逆にいえば、ちひろは神である桂馬とも真正面から恋をすることができる。身分違いの「神」に、庶民が恋するなんてどうしようもない、でも、だからこそ恋が成就すれば、それはこの上なくロマンチックなものになる。なんとも少女漫画的ですが、だからこそちひろの恋は王道で、(僕みたいな「りぼん」大好きっ子は特に)感情移入しやすいのです。

 

 『初めて恋をした記憶』のサビはそんなちひろを真っ向から表現しています。

 

  二度ない瞬間と感触は 消えていたけれど 

  心にまだ残る純粋と 初めて恋をした記憶

 

攻略の記憶(「神=桂馬」との特別な関係の記憶)は無くなってしまっても、桂馬に対する想いは残り続ているのです。

 

 

 でも、神のみの「主人公=神」は桂馬なんですよね。特に女神編では、桂馬は攻略という目的の完遂を何よりも最優先している。王様ならともかく、桂馬は「セカイを作る神」なんですよ。明らかにハードルが高すぎる。

 

 そして、「神」としての桂馬の苦悩をちひろも体験してしまった。その上でちひろに出来ることは、自分も一時的にではあるけれども「神」の位置に立つことで、涙を振り絞って「想い」を伝えることだけなのです。

 

 

 とまあ思わず長々と書いてきましたが、正直、こんな小難しいことを考えなくてもいいんです。だって、アニメでも漫画でもちゃんと物語を見てれば、ちひろの想いは痛いほど伝わってくるし、桂馬が苦悩していることも分かりますから。つまり、この文章は、ちひろが報われないことを自分に納得させるために考えていることを書いているんですね。それくらいちひろの恋は凄いんです。

 

 でも、ちひろと桂馬は「初めて恋をした記憶」によって通じ合ったのだと思います。これ以上無く残酷な形で。二人はコインの裏表なんですよね。この世界のためには、バランスを崩すことは出来ないと分かっている、だから今は「バイバイ」なんです。

 

 

 こうして、ちひろは女神達とは違うけれども、桂馬にとって特別なヒロインとなりました。現時点での桂馬には、ちひろと再び向かい合う準備はまだ出来ていません。でも、この先、桂馬とちひろは再び恋をするはずだと信じています。

 

 そして、二人が再び恋をするために必要なのが(かなりちひろ寄りな見方ですが)、現在サンデーで連載されている過去編です。その過去編でキーマンになっているのは、女神編においてちひろと同様に、特殊な立ち位置にいた天理です。

 

 女神編における天理、そして天理の中にいる女神ディアナは、ハクアとともにお助けキャラ的な立ち位置にいます。最後のライブシーンでも、ステージに立っていないルナ(月夜)とミネルヴァ(栞)が下手側(向かって左)にいるのに対して、ディアナ(天理)は(アニメだと詳細な場所はよく分かりませんが)、一人は離れた場所(裏側?)にいます。

 

 つまり、ちひろとは違った意味で、ディアナと天理は攻略対象ではないけども、特別な位置にいるヒロインです。そもそも1週目の攻略の時点で、天理は通常通りの攻略を受けていません。天理は元々桂馬のことが好きで、しかも「ゲームをしている桂馬くんが好き」だといいます。この言葉は、天理が単なる幼なじみを超えて、攻略されずとも「神」である桂馬と特別な関係を築ける存在であることを示しています。

 

 女神編では、過去編に繋がる伏線がいくつもちりばめられていて、特に最終回で天理がディアナに秘密を告げたシーン(その結果ディアナの翼が復活しているのでかなり重要なこと)は、現在サンデーで連載中の展開にダイレクトに繋がっていることでしょう。そこらへんの伏線もアニメではうまく処理されていて、これは過去編もやってくれるんだろうなと期待が高まります。

 

 この先、神のみの鍵を握るのは間違いなく天理だし、ちひろとともに特別なヒロインとして一歩抜け出している存在かなと思います。もちろん女神6人全部よかったのですが、アニメはこの二人の描写が本当によく出来ていて、スタッフには感謝しかありません。今後、どうなるのか、より一層目が離せなくなるすばらしいアニメでした。

  

初めて恋をした記憶

初めて恋をした記憶

 

 

 

 

 

*ここから先は天理とちひろの立ち位置について書いてますが、過去編のネタバレを含むので、アニメから入った人、単行本派の人でも、まだ23巻を読んでない人は注意。

 

神のみぞ知るセカイ 23 (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ 23 (少年サンデーコミックス)

 

 

 

 

 

 

 

 さて、過去編で明かされた謎の一つとして、「女神編のシナリオを書いたのは誰か?」という問題があります。駆け魂捜索編から女神編の時点では、ドクロウ室長が裏で糸を引いているように見えるし、女神編でもヴィンテージによって処分されている(ように見える)ことから、ドクロウ室長が何らかの形で関与していることはみんな予想していたでしょう。その一方で、女神編において桂馬が「誰がこのシナリオを書いたんだ」と問いかけており、一筋縄ではいかないことも容易に予想がついていました。

 

 その謎が解明されるのが過去編で、過去に戻った桂馬自身がドクロウを通じて女神編のシナリオを自ら書いたことを知ります。正確には、ヴィンテージの策略に対応するために、未来に解決策を託したドクロウ室長と桂馬の共謀なわけですが、桂馬は女神編という未来を先に体験することで、答えを知った状態で過去に戻り、ドクロウを通じて女神編に繋がる布石を自ら打つわけです。なんという時間SFの王道的展開。

 

*直接関係ないですが、『タイムリープ』は名作なのでぜひ読むように^^

 

 

 で、この桂馬自身が未来から過去に遡ることでシナリオを書いた(まさしく「神」ですね)という展開は、実はちひろと天理という二人のヒロインの特別さに繋がる重要なポイントです。

 

 現在サンデーで連載中の過去編(学校ヒロインバトル編)において、天理は自分の中に引き籠もってしまった桂馬の心に寄り添いながら、桂馬を優しく包み込んであげます。さらには、今週号の台詞にもあったように、二人で「新しい物語を作る」役割を担うことになります。

 

 要するに、女神編とは、桂馬と天理(+ドクロウ)が過去に作り上げたプロットの上で展開する物語なのです。天理の攻略時にみた浮島の秘密と、それに対抗するための手段(現在過去編で構築しているもの)、その二つこそが女神編を根底で支える条件です。

 

 その二つを女神編において知っていたのは、天理だけです。過去編において天理とともに新たな物語を作ると決断した桂馬は、未来(女神編)を経験した桂馬に他なりません(桂馬の時間遡行はタイムリープ型なのでタイムパラドックスは生じない)。

 

 逆に言えば、女神編の時点(未来だけど桂馬的時間軸では先)での桂馬は、過去編の時点(過去だけど桂馬的時間軸では後)で何があったかを知っていません(知っていたとしたらタイムパラドックスが起きる)。つまり、女神編の時点において、天理は桂馬が過去に何をしていたかを知っているけれども、それを知らない桂馬に対しては隠し通さないといけないわけです。

 

 つまり、天理は過去編において桂馬とともに「物語を作る」という特別な絆をえながら、その絆を女神編では活かすことが出来ないのです。天理がディアナに最後に打ち明けたのは、これから過去編で描かれるであろう、桂馬と一緒に作りあげた物語(女神編)のプロットなのではないかと思います。

 

 

 ここ三週間のサンデー紙上における桂馬と天理のやりとり(特に文字通り引き籠もった桂馬を引っ張り上げるシーンと、今週の舞台袖のやりとり)をみると、ヒロインとして天理サイキョになっちゃいがちです。 

 

 しかし、忘れてはならないのは、天理とともに物語を作る桂馬は、女神編におけるちひろを経た後の桂馬なのです。つまり、客観的な時間軸では「天理>ちひろ」ですが、桂馬の主観的時間軸においては「ちひろ>天理」の順なのです。実際に、桂馬がロリちひろとの「再会」でダメージをうけて引き籠もっちゃいますしね。

 

 幼なじみであるが故に、桂馬と秘密を共有し、「神」として桂馬の隣に自然に立てるけれども、逆に女神編においてその秘密を明かすことが出来ず、介入することが出来ない天理。女神が入ってないゆえに、「神」である桂馬と特別な関係を保つことが許されないけれども、本当の意味で恋をし、桂馬と同じ「神」の立場を経験することで、過去における天理と桂馬の特別な関係にも未来から影響を与えているちひろ。

 

 過去編が終わった後は、この二人が中心となって物語が更に展開していくことは間違いないでしょう。もう、毎週震えながらサンデー読むしかないじゃないですか。若木先生、あんたなんてものを作ってくれてるんや......

 

 再び動き出す純粋と 初めて恋をした記憶

 

 (2B PENCILS & 中川かのん『初めて恋をした記憶』)

 

 

 

 ん、誰かわすれてないか? 「マイ・ラブリー・デビル」ハクアたんの未来はどっちだ!? 

神のみぞ知るセカイ 20 DVD付特別版 (少年サンデーコミックス)

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