原作でもアニメ版でも『日常』を見ていると、
プロレス的な描写が多い事に気づくと思います。
具体的にはアニメ版6話における、校長対鹿のシーン、
そして、キャンプ場のシーンにおけるみおのドラゴンスクリューなどをあげる事が出来ます。
こうした描写からは製作サイドのプロレスに対する愛が感じられ、
20年来のプロレスファンとしてはこういう所も『日常』を好きになるポイントな訳です。
参考:日常の6話〜ダンベルに囲まれたアニメーターの日常〜 - まっつねのアニメとか作画とか
ただ、このドラゴンスクリューのシーンの描写は以下のブログで指摘されているように、
往年のプロレスファンなら一発で武藤対高田を思い起こさせ、
プロレスファンが故に不満を持つ描写ともいえます。
かくいう僕も初見時は、
「足四の字につなげば完璧だったのに」と思わないでも無かったですし*1。
参考:「日常」第6話のドラゴン・スクリューが物凄く惜しかった! - 新日vs.Uインター、武藤敬司vs.高田延彦- さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
が、しかし、『日常』という作品を通して体験し、
長野原みおというキャラクターについて考えていくと、
あのドラゴンスクリューの描写は『日常』という作品にとっては非常に理にかなっているともいえます。
そこで今回は、ドラゴンスクリュー問題から長野原みおの魅力を考えながら、
『日常』とプロレスというテーマで考察を進めてみたいと思います。

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1.みおの本能とプロレス的ムーブ
まず、みおがドラゴンスクリューを出したシーンを振り返ってみたい。
アニメ6話だとキャンプ場にて「カレー→ご飯→ところてん」と食料が全滅し、
怒りと悲しみが混じったみおの感情が臨界点を突破した状況において、
みおはゆっこにドラゴンスクリューを放っています*2。
また、原作においては他にも何回か、みおはドラゴンスクリューを放っていますが、
どのシーンにおいてもみおは感情を高ぶらせ、
本能の赴くままに技を放っているのです。
例えば3巻においてみおは*3、
警官にBL原稿を発見され自分を保てなくなる中で、
「ドラゴンスクリュー→ソバット→ドラゴンスクリュー」のムーブを見せています。
この一連のムーブを本能の赴くままに行っているみおは、
まさしく『日常』の世界における「天才ジーニアス」武藤敬司を彷彿とさせるキャラクターである一方で、
みおのドラゴンスクリューと武藤のドラゴンスクリューでは技のもつ意味が明らかに違います。
本来ドラゴンスクリューとは繋ぎの技です。
確かに藤波のオリジナルが半ば忘れられていたのを、
武藤が高田戦において「膝を破壊する技」として劇的によみがえらせる事で、
形成を逆転させる重要な技として脚光を浴びる存在にはなりましたが*4、
しかし、あくまでもその後のフィニッシング・ホールドが決まってこそ、
ドラゴンスクリューは技としての真価を発揮する事が出来るのです。
つまり、id:tunderealrovskiが主張するように、
この後、同じく膝を破壊するフィニッシングホールドの「足四の字」に繋ぐ事で初めて、
ドラゴンスクリューは説得力のあるプロレス技になる事が出来るのです。
YouTube |
ただし、上記したようにみおは感情の高ぶった時のみ、
本能のままにドラゴンスクリューを放っているわけで、
決して形成を逆転させる繋ぎの技だと意識している訳ではありません。
むしろ、みおの本能が追い込まれた状況を打開するための大技として、
ドラゴンスクリューという技を無意識のうちに使っていると考える方が自然であり、
技単体としてはプロレスっぽく見えても、
一連のムーブとしては全くプロレス的ではないのです。
このプロレス的なムーブという観点から見れば、
ドラゴンリングインまで含めて、校長対鹿のシーンは非常に完成度が高いムーブであるといえ、
従って、原作でもアニメでもみおのドラゴンスクリューのシーンは、
意図してあえてプロレス的ムーブから外れるように描いていると考えた方がいいのではないでしょうか。
補足:また、みおのドラゴンスクリューは厳密に見ればドラゴンスクリューとはいえず、
3巻の場合に特に顕著なのですが、
「足を巻き込んだ投げに近いもの=ドラゴンスクリューっぽい何か」であり、
「あれじゃあ、膝の関節にダメージが入らないっていうかめちゃくちゃだな」
といった解説をする事が予想されるような代物であるといえます。

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2.「みお=運動神経の方向音痴」
ではなぜ、一定以上のプロレス理解度を持つと考えられるあらゐけいいちと京アニが、
みおのドラゴンスクリューのシーンにおいてはなぜプロレス的なムーブを徹底しないのでしょうか。
この問題を考える時に重要なのが、
みおが「運動神経の方向音痴」なキャラクターであるという点でしょう。
一巻の初登場時のコメントでみおは「ふつう」と紹介されていますが、
一方で、宿題のノートを取り戻すときのトランザム発動のシーンのように、
感情が高ぶるとスーパーサイヤ人のように覚醒する、
実は高い身体能力を秘めているキャラクターとして描写されています。
【MAD】トランザムのBGMにしてみた【日常】 by わかば アニメ/動画 - ニコニコ動画 |
こうした描写は例えば、4巻の走り高跳びのエピソードでハッキリ描写されており*6、
「身体能力の高さと運動神経の不在」が併存した結果、
いつの間にか「人間魚雷」をゆっこにかましてしまうという不条理な展開を見せます*7。
ドラゴンスクリューもこの「人間魚雷」と同じように、
スイッチの入ったみおがガムシャラに動いた結果として、
よく分からないままに編み出してしまった技だと考えれば、
みおというキャラクター描写として一貫していると言える訳なのです。

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また、6巻最後で笹原先輩とみさとが付き合ってると勘違いしたみおが暴走するシーンで*8、
その身体能力の高さ(シャドーボクシング)に目を付けたジェントルマンが、
「ボクシングで世界を狙ってみんか?」と勧誘するのも、
よくあるギャグの一種であるだけでなく、
方向音痴な運動神経をトレーニングによって改善出来ればという、
それまでの流れを受けた描写ともとれるのです*9。
まあ、もしジェントルマンが馳浩だったら即プロレスにスカウトして、
その日の東スポに「世界を狙える女子高生の逸材発見」的な記事が踊っていた事でしょう。

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3.「プロレスというエンターテインメントのガチ」と「エンターテインメント作品に置けるプロレス的ガチ」
こうした「プロレス的な説得力」の問題と「みおというキャラクター造形」の間の力学を考える際には、
最近いずみのさん(id:izumino)や渡辺さん(id:k_watanabe)なんかと話している、
「プロレス的にみるか、総合格闘技的にみるか」という問題とセットで考えると面白いかもしれません。
・お約束や様式で演じられるドラマに「うまく騙され」ながら、その中に真剣(ガチ)な瞬間を求める見方 = プロレス
・「作りもの」ではなく真剣勝負(ガチ)だという幻想を抱きながら、その中にロマンを求める見方 = 総合格闘技
(中略)
メタな論理に則った合意性と、明白なわかりやすさを重視した「作りものの世界」として物語を見るか。
それとも、劇中で積み重ねられる事実のつながりを重視した「リアルな世界」として物語を見るかの違い。
参考:物語をプロレス的に観ることと、格闘技的に観ることの真逆さ - ピアノ・ファイア
この引用に照らして考えるならば、
プロレス的ムーブの正着に従って「ドラゴンスクリュー→足四の字」といけば、
そこには「(プロレス的)様式が先行した作り物の世界」としての色合いが強くなり、
受け手側もプロレス的な見方を採用する事でより作品を楽しめるようになるでしょう。
一方で、『日常』という作品において実際に描かれたように、
みおの「運動神経の方向音痴」キャラの行動原理を徹底した描写を採用すれば、
劇中世界における事実の積み重ねによって「リアル」を生み出す事につながり、
受け手側は総合格闘技的な見方をすることでより作品に没入出来るでしょう。
前も書いたように、『日常』は主に空間的に作られた感覚(非日常性)を漂わせる作品である一方で、
主に時間的な描写の部分で現実との地続き感(日常性)を醸し出す作品だと思っています。
そして、今回取り上げたみおのドラゴンスクリューにも両者の要素を見て取る事が可能で、
「プロレス的な説得力」と「キャラクター描写の説得力」の鬩ぎ合い
という読みをさせてしまう事自体が、
日常系作品としての『日常』という作品の奥深さを象徴していると言えないでしょうか。
まとめ
まあ、かなり強引な考察になっていますが、
『日常』にはこれ以外にもプロレス的な描写が散見されます。
そうした描写を笑いながら、
「『日常』におけるガチとは何なのか?」
そして、
「日常系におけるガチとは?」
という事を色々と考えてみると面白いと思います。

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*2:ちなみに原作だとフライングボディアタックの描写は無いですが、その後の擬音を見る限り足四の字には言ってないと思われます。日常の51参照
*3:日常の37
*4:特に特殊な受けが必要となるため、純プロレスから離れていた高田のような他ジャンルの選手はうまく受け身を撮るのが難しいので掛け方次第ではとても危険な技になりうる
*5:ノアでよく解説をしている高山は、Uインターからキングダムを経て全日→ノアという経歴をたどっており、またノア参戦後も総合の試合に出るなど、プロレスと総合格闘技を股にかけて活躍するレスラーであり、個々の技に対するコメントが非常に的確である。
*6:日常の59
*7:アレを技と言っていいのかはともかくとしてw
*8:日常の104
*9:しかも、4巻でのドラゴンスクリューに巻き込まれた警官もこのエピソードに再登場させるなど、あらゐけいいちの構成力のいったんも垣間みる事ができるシーンです