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ハードさとロマンが絡まり合う極上のSFを体感せよ ―小川一水『天冥の標』のすすめ―

前回記事を書いた『碧の軌跡』をクリアした後、
空の軌跡』にも手を出しておりますが、
その合間に積んであった小説を少しずつ崩して行っています。


特に次巻で完結を迎える『サクラダリセット』6巻は、
こちらの期待を通りの展開を見せてくれており、
完結に際してはあらためて記事を書きたいと思っております。


それに負けず劣らず素晴らしかったのが小川一水の『天冥の標』5巻
これまでの氏が書いてきた作品の集大成とも言えるシリーズ『天冥の標』
前回は10年代初頭を代表する骨太のRPGを紹介した訳であるが、
今回は同じく10年代初頭を代表する大傑作SFシリーズを紹介していきます。


1.メニーメニーシープから始まる物語

『天冥の標』シリーズは29世紀の植民星メニー・メニー・シープを舞台に幕をあけます。
メニー・メニー・シープは中世的な総督に支配がまかり通る厳しい世界で、
医師を務めるカドムが一巻の主人公を務めます。


植民船シェパード号からもたらされる配電に制限がなされる中、
突如発生した謎の疫病と謎の怪物
カドムは友人で「海の一統」のアクリラとともに疫病を追いながら、
メニー・メニー・シープに秘められた謎に迫る事になります。


このように一巻は移民世界における支配構造との逃走といった趣のSFで、
正直個別の物語としては惹き付けられる要素も少なく、
単体としてはそこまで飛び抜けたSF作品とはいえないかもしれません*1


しかし、作中に出てくる個性溢れる多様なキャラクター達は魅力的ですし、
後半の戦闘シーンは非常に見応えがあります。
そして何より1巻の最後で明かされる正体不明の敵の存在と、
それぞれのキャラクターが帯びている属性が、
後の巻で描かれる壮大な歴史的伏線である事が明かされます。


1巻のあとがきには以下の様に書かれています。

当時のSFマガジンの編集長と(中略)決めました。
「小川さん、次の話、できること全部やっちゃってください」
「あ、はい」
「十巻くらいで」
「おお、すごいですね」
ひとごとか俺。
   (『天冥の標』Ⅰ メニー・メニー・シープ 下 359-360頁)

つまり、1巻はこれから始まる壮大なSF物語の要素を紹介する序章にすぎないわけです。


この時点で、今後展開されて行くであろう物語にドキドキが止まらないわけですが、
実際に読み進めて行くとその期待は間違いでなかったと思わされる事でしょう。


2.メニーメニーシープに至る人類の歴史

2巻以降は人類が太陽系へ展開して行く際の個々のエピソードについて、
時代と場所を変えながらハードな筆致で描かれて行きます。


2巻では地球における人類史上最悪ともいえるパンデミックの発生が、

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)


3巻では「海の一統」に繋がる宇宙軍と宇宙海賊と宇宙冒険活劇が、

天冥の標 3 アウレーリア一統 (ハヤカワ文庫 JA)

天冥の標 3 アウレーリア一統 (ハヤカワ文庫 JA)


4巻では娼婦アンドロイド*2の話がそれぞれ描写されるわけですが*3

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標?: 機械じかけの子息たち (ハヤカワ文庫JA)


そのどれをとっても同じ作家が同一シリーズとして書いているとは思えない
バラエティにとんだ、単作として読んでも魅力溢れたハードSFの名作群となっています。


こうしたハードな部分は『復活の地』『老ヴォールの惑星』『第六大陸など、
ハードSFの傑作を産み出してきた小川一水の技量の確かさを感じさせる出来になっています。

復活の地 1 (ハヤカワ文庫 JA)

復活の地 1 (ハヤカワ文庫 JA)

第六大陸〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

第六大陸〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)


しかも、劇中で詳細な描写がなされて行く、
救世群、ロイズ、酸素いらずといった勢力は、
1巻に出てきたキャラクター達の先祖達であり、
読み進める事で、メニー・メニー・シープを取り巻く状況の詳細が徐々に明らかになっていくのです。


このように『天冥の標』シリーズは各巻がハードSFの傑作であると同時に、
それらがゆるやかに繋がって行く事で、
10巻を通じて人類の宇宙展開の歴史を1000年単位で描く一代歴史物語となっているのです。


3.背景で展開される全宇宙規模の覇権争い

『天冥の標』は人類の宇宙展開史のハードSF的な描写だけにとどまりません
人類の歴史の背景では、全宇宙規模で繰り広げられる覇権争いが展開しているのです。


それは、それぞれの巻に断章として挟まれる「ダダー」の物語として描かれます。
ダダーは被展開体として人類のネットワーク、そして地球や太陽系の生態系に入り込み、
多様な方法で人類とコミュニケートしながら自らを展開して行く、
太陽系の外からやってきた一種の知性体です


特に最新の五巻ではダダーの物語がこれまで以上に詳細に描かれ、
人類の宇宙展開の歴史の背景で、
ダダーとその敵たるとある存在の戦いの歴史が繰り広げられていたことが明らかになっていきます。
4巻まで読んできた読者ならば、この5巻の展開にうならされること間違いなしでしょうし、
一巻の最後で描かれた正体不明の敵の秘密に迫る事になるのです。


ちなみに未知なるものとの出会いに関しては、
最新の短編集である『青い星まで飛んでいけ』で描かれたテーマですし、
壮大な時間的・空間的スケールで展開される圧倒的な敵との戦いという部分は、
『時砂の王』を思い起こさせます。
つまり、ロマンの部分に関してもこれまで小川一水が描いてきた物語に土台があるのであって、
編集長の言葉通り「できることを全て」ぶつけたシリーズだといえるでしょう。

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)

時砂の王 (ハヤカワ文庫JA)


このように、『天冥の標』とはメニーメニーシープにいたる人類の宇宙展開史という、
宇宙規模でみれば(時間的にも空間的にも)局地的な歴史のレイヤーと、
ダダーとその敵の間で繰り広げられる、
全宇宙規模での覇権争いというレイヤーからなりたつ、
ハードSFの緻密な描写と壮大な宇宙の歴史ロマンが
きわめて高いレベルで融合した壮大なスケールのSF物語なのです。


おわりに

2000年代の日本SF界を支えてきた小川一水による、
ロマンとハードさがこれ以上ない高いレベルで絡み合った至極のSF物語『天冥の標』


現在構想の半分まで到達したところであり、
今なら一気読みすることでそのスケールを体感出来るチャンスです。
間違いなく2010年代を代表する名SFとしておすすめです!

*1:よりキャッチーな2巻から入るのもありで、2巻を読んで楽しめそうだと思ったら1巻に戻ってくるのがいいかも

*2:正確には性別は関係ないのですが

*3:4巻の前半は下手な官能小説も顔負けのエロさを誇るw