レスター伯の限界

気付いたらVtuberになってた

ありがとうコントレイル、ありがとう福永祐一 ―とある競馬ファンが見てきた福永祐一四半世紀の軌跡―

こんなに自然と涙が出てきたのは2018年のダービー以来だよ...(挨拶)

 

昨日行われた2021年ジャパンカップにおいて、コントレイルが見事に勝利を勝ちとり引退の花道を飾りました。日本競馬史上三頭目の無敗の三冠馬が、その実力を遺憾なく発揮した素晴らしい競馬でしたし、個人的に一番みたいコントレイルの姿を最後に見れて本当に良かったと思います。

 


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ただ、個人的にはゴール直後、これまで見てきた中も最も感情を露わにする鞍上福永祐一の姿をみて、テレビの前で同じように涙があふれてきました。その後のインタビュー、一つ一つの言葉に込められた重みにその涙は更に加速しました。引退式の矢作先生の言葉、前田オーナーのメッセージ、その全てが重く重く心にのしかかってきました。

こんなにも強くて、こんなにも頑張り屋な馬で歴史に残る名馬に出会えたこと、そしてその鞍上に福永祐一の姿があったこと。


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1996年3月2日のデビュー時からずっと見続け、応援し続けてきた福永祐一というジョッキーの歴史は僕自身の競馬ファンとしての歴史とガッツリ被るものであり、自分がこの目で見てきた競馬の歴史は、すなわち福永祐一を応援し続けた歴史に他なりません。そこで、そんなある競馬ファンが自分の目を通して見て、自分の中に蓄積してきた福永祐一の歴史をこの素晴らしいコントレイルの引退レースを機にまとめて見たいと思います。

この後書かれる文章は客観的な歴史というよりは、むしろ自分史・自分語りのような物です。書きたい、書き残さないといけいないという衝動のままに書いている文章であり、まとまりがないかもしれません。しかし、書き残さずにはいられない文章、もっといえばラブレターであり、競馬を好きになり競馬を見続けること、あるジョッキーを応援し続けるることがどんなに素晴らしい体験をもたらしてくれたのか、そんな個人の想いを文章として残したい。

僕と同じ位の競馬歴の方も、ウマ娘から入った新規の競馬ファンの方も、ご一読いただければ幸いです。

 

目次

1.競馬にハマった田舎の中学生と福永祐一の出会い

2.恩師に支えられ積み重ねた経験

3.スタイルの模索と新たな仲間との出会い

4.福永祐一とダービー

5.コントレイルと駆け抜けた軌跡

 

 

1.競馬にハマった田舎の中学生と福永祐一の出会い

1996年3月2日、中京競馬場において福永祐一(以下ユーイチ)は華麗なデビューを飾ります。第2Rでマルブツブレベストに騎乗し見事にデビュー戦を勝利。続く第3Rでも勝利を飾り、デビュー2連勝というこの上ないジョッキー人生のスタートを飾りました。この連勝で天才福永洋一の息子に対する競馬ファン、メディアの期待も一気に高まりました。

 

最初に少し自分の競馬ファンとして歴史の話をしておくと、なんとなく競馬を意識したのが90年有馬記念オグリキャップ、リアルタイムにみて記憶にある最初のダービーが93年のウインイングチケット。そして競馬にどっぷりハマるきっかけになったのが93年有馬記念トウカイテイオー奇跡の復活と翌94年ナリタブライアンの三冠達成。ウマ娘の始まった今年の競馬も大概凄いドラマの連続でしたが、93年~94年の競馬というのもウマ娘2期のアニメが示しているようにドラマの連続で、田舎の中学生が競馬にハマるには最適の時期だったと言えます。

その後、多分同年代の競馬ファンと同じようにウイニングポスト、ダ-ビースタリオンをやりこむ中で競馬にハマっていきます。これらのゲームが大きかったのは、今思うと血統という沼に引き込まれたことと、もう一つは友達を競馬に引き込むきっかけになったことだと思います。ゲームを通じて競馬仲間が増える、これはウマ娘が流行っている今と同じ流れだなと改めて感じます。競馬をコミュニケーション言語として使える様になる上でゲームの果たした役割は大きく、当時友達と「ナスルーラのクロスは気性難になるけどやっぱりスピード上げるには必要だよな」みたいな会話が出来たのは確実にダビスタのおかげであり、そのなれの果てがわぁドレ血統研究所でひたすら5代血統表をみて解説するおじさんの姿なのです。

 

そんな田舎の中学生が本気で競馬にハマっていった結果、競馬仲間と競馬雑誌(優駿サラブレ)を回し読みし、なんちゃってPOGや架空G1予想バトルを始めたのが96年、そう福永祐一がデビューした年でした。この年の競馬はサンデーサイレンス2世代目、バブルガムフェローが大好きで、フサイチコントルドをなんちゃってPOGで指名した僕としては一番好きなクラシック世代であり、本格的に競馬にのめり込むタイミングでした。そんなタイミングで鮮烈なデビューを飾ったのが福永祐一だったのです。

デビュー当日夜のNHKサタデースポーツ、G1でもないのに競馬のコーナーが組まれ、ユーイチのデビューは大々的に報じられました。そんな番組構成の中でデビュー2連勝、スターの証といえるかもしれませんが、個人的にはウルフルズの「ガッツだぜ」が好きで、曲を背景にはにかみながら笑うユーイチの姿に、ああ、なんか応援したいなという想いが浮かんで来ました。

自分より少しだけ年上のアスリート、競馬に本格的にのめり込み始めた中学生が親近感を持つ対象としてユーイチのファンになっていったのです。天才福永洋一の息子としてではなく、自分と新世代の初々しいジョッキーとしてのユーイチを応援しよう、それが最初の出会いでした。

 

 

2.恩師に支えられ積み重ねた経験

デビュー2年目夏にシルクフェニックスエンプレス杯に勝利し中央地方交流競走で初重賞を制した後、秋に初めて中央の重賞(東スポ杯)を制したのがキングヘイローでした。首の高い走りながらも鋭い末脚で差し切ったレースは今でもよく覚えていますが、キングヘイローについては他の方も色々語られているのもありますし、今回はあまり語りません。

ダービーでユーイチの頭が真っ白になったときにファンとしても同じく唖然としてしまったこと、何度か下ろされてはまた鞍上に戻ってきたけどあと一歩でG1には届かなかったこと、そしてキングヘイローの初G1となった高松宮記念では2着デヴァインライトの鞍上にいたこと......悔しい思いでばかりが浮かんで来ますが、もう一つキングヘイローで覚えているのはキングヘイローが引退して栗東を去る日に、ユーイチが坂口厩舎にやってきて一緒に見送ったということ。この義理堅さというか、思い入れの深さが多分ジョッキー福永祐一の一番の根幹にある物だと思うのです。

 

そんな意味でここで語りたいのは北橋修一と瀬戸口勉という2人の恩師の事です。ユーイチは北橋厩舎の所属ジョッキーとしてデビューし、北橋先生の引退まで一貫して北橋厩舎の所属であることを貫いていました。父親洋一の盟友であり、洋一の事故以来、子供の頃からユーイチの第2の父親として支えてきた北橋先生は、ジョッキーとしてのユーイチを厳しくも優しく支え続けてくれました。自厩舎の有力馬に乗せ続けるだけでなく、他厩舎の有力馬から依頼があった際にはそちらを優先するようにいい、ユーイチが大きな舞台を経験できるようにお膳立てをしつづけてくれました。

ユーイチと言えば新馬戦に滅法強く、若駒を育て上げることに定評があるジョッキーですが、実はG1を勝った馬にデビューから引退まで乗り続けたことは殆どありません。コントレイルですら東スポ杯は(騎乗停止があったとはいえ)ムーアに鞍上を譲っています。そんなユーイチのジョッキー人生の中で、数少ないデビューから引退まで乗り続けた馬、それが北橋厩舎のエイシンプレストンです。

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2001年の香港日本馬3連勝の立役者の一頭であり、QE2世カップ連覇など、香港に滅法強かったエイシンプレストンですが、そのプレストンのデビュー戦から手綱をとり続けたのはユーイチでした。新馬戦こそダイタクリーヴァに負けましたが、折り返しの新馬戦で勝利するとその勢いでいきなり朝日杯3歳S(現朝日杯FS)で勝利。3歳になってからも距離延長のきさらぎ賞は負けたものの、マイル戦のアーリントンC、NZTは連勝し、NHKマイルCでは一番人気間違いなしという馬でしたが骨折が発覚し回避。秋になって復帰するも結果がでず、マイルCSでは同期の変態、アグネスデジタルの勝利を5着の位置から見守ることになりました。

その後もなかなか勝てないレースが続く中なんとか立て直して再び万全の状態でマイルCSに望むもこれまた同期のゼンノエルシドをゴール前捉えきれず惜しい2着。なかなかG1を勝てない馬というイメージが付いてきたのでした。


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当時のユーイチというと、初G1になったプリモディーネ桜花賞の様に華麗な勝利もありましたが、どちらかというと大舞台で勝ちきれないジョッキーというイメージをもった人も多かったのではないでしょうか。特に人気馬に乗ったときにはどうも力を出し切れない。そのイメージはエイシンプレトンでも同じ感じでした。

そんなエイシンプレストンが覚醒したのが香港。マイルCS2着から臨んだ香港マイルを快勝、翌年のQE2世カップではアグネスデジタルにリベンジ。さらに翌年のQE2世カップでは香港馬の厳しいマークにあうも完璧な騎乗で連覇達成。香港競馬における日本馬の代名詞的存在になったのでした。

この2度目のQE2世カップの後にはTVの企画の中でどういう作戦をたてて、そのイメージ通りの乗れたのか語っており、これが今の「教えて福永先生」の原型になっているんだなと思います。この頃から戦略型のジョッキーというのは変わっていません。

 

こんな形でなかなか勝てなかったエイシンプレストンとともに香港という舞台で輝いたユーイチは経験を積み重ねていきます。それを北橋先生とともに支えたのが盟友瀬戸口先生でした。オグリキャップでおなじみの瀬戸口先生も自厩舎の有力馬にはユーイチを乗せ続けました。もちろん、エイシンチャンプネオユニヴァースのどちらを選択するかという一件があり、先約を優先するスタイルのユーイチがエイシンチャンプに騎乗し将来のクラシック2冠馬を手放すということもありましたが、トータルでみると瀬戸口厩舎の馬がユーイチにもたらした経験は非常に大きな物だったと思います。

この2つの厩舎の強烈なバックアップを受けて大きく飛躍することになるのが福永祐一のジョッキーとしての第一期であり、その土台の上で2005年の大躍進(ラインクラフトシーザリオなどでG1を5勝、重賞16勝(現在でも自己最多)、初の年間100勝達成)があったのだと思います。


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3.スタイルの模索と新たな仲間との出会い

そんな飛躍の第一期の最後を経て、ユーイチは大きな転機を迎えます。2人の恩師の引退、フリーへの転身です。先約を優先する主義を貫き、さらにデビュー時から騎乗馬をじっくり育てていくスタイルのユーイチにとって、優先的に騎乗馬を回してくれる2人の引退は非常に大きかったと思います。

元々ユーイチは騎乗技術が高いジョッキーとはいわれていませんでした。ユーイチがデビューした90年代後半に栗東で騎乗技術が高いジョッキーと言えば天才武豊の他に、四位洋文(現調教師)や藤田伸二、そして父洋一の次に天才と言われた田原成貴でした。田原、四位、藤田の3人はユーイチにも目をかけてくれていましたが、一方でその技術のつたなさには度々言及しています。

ユーイチは身体、特に股関節が硬く、田原や藤田らは何度かそのことに触れています。実際にユーイチは巧みな騎乗技術や豪腕で差し切るといったようなハッとさせられるような勝ち方は殆どしておらず、むしろダイワエルシエーロオークスでの見事な逃げ切り勝ちのように頭を使って戦略的に勝つタイプで、それがハマらないこともしばしばあるジョッキーでした。

 

そんな苦境に立たされた第二期のユーイチがとった選択肢が、自らの騎乗スタイルを一から見直すことであり、そのためにコンタクトをとったのが藤原英昭調教師でした。藤原調教師の弟は奇しくも北橋厩舎の所属でエイシンプレストンの担当助手でした。そのツテをたより、馬術競技の高い技術を持つ藤原調教師の元で一から騎乗技術を磨き直すのでした。その縁もあり、徐々に藤原厩舎の主戦級のジョッキーになっていったユーイチが今年のダービーでシャフリヤールに騎乗し勝利したのはみなさんの記憶にも鮮明に残っているのではないでしょうか。

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こうして藤原調教師の下で新たな騎乗スタイルを模索する中で、他にもユーイチを支えた若い世代の調教師達がいました。シーザリオ以来、ユーイチを主戦ジョッキーの1人として起用した角居調教師はもちろん、角居先生と同じく松田国英調教師門下だった友道調教師、そして矢作調教師です。

個人的にはあと一歩の所でG1を勝ちきれなかったサクラメガワンダーの思い出が強く、5歳になってからユーイチを起用しつづけて中長距離路線を戦い続けていった姿は、今現在の中長距離の友道厩舎の原点になっているような気がします。

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2000年代後半というのは勝ち星も減り、G1・重賞勝ちも減っていた時期でしたが、この時期に若手調教師達との間に築き上げていった関係性が今の飛躍に繋がっているのは間違いないでしょう。こうしたコツコツと地道に積み上げていくスタイルは、実にユーイチらしいと感じますし、友道先生や矢作先生もこうしたユーイチの人柄・スタイルに共感して、自厩舎の有力馬を一緒に育て上げることを選択していったのではないでしょうか。この苦節の時期にも福永祐一というジョッキーの泥臭く、実直なスタイルが現れていて、自分の中でより一層好きなジョッキーになっていきました。

 

 

4.福永祐一とダービー

福永祐一というジョッキーが大舞台に弱いイメージがあったというのは既に書きましたが、それが最も出ていたのが牡馬クラシック、特にダービーです。キングヘイローでの自滅に始まり、ワールドエースエピファネイアリアルスティールと人気馬にのっても勝てないレースが続きました。2着になったのもウオッカのダービーの歳に人気薄で逃げ粘ったアサクサキングスで、そういう意外性での好走の方がユーイチらしいなというのが当時の素直な感想でした。

とはいえ、ファンとしては非常に忸怩たる思いで毎年ダービーをみていました。特にエピファのダービー。向こう正面で躓いたときに「なんで...」となり、直線でなんとか抜け出して先頭に立ったときにやっと勝てるかと思うもキズナに差し切られ二着。あのゴール板の前でがっくり頭を下げる姿は本当に目に焼き付いてます。なんで、勝てないんだ、もう一生ダービーは勝てないんじゃないか、そんな思いがしたのをよく覚えています。


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エピファに関しては菊花賞で見事に勝利し、初めての牡馬クラシック勝利を掴みましたが、翌年のJCの勝利時に鞍上にいたのはスミオンであり、ユーイチは2着のジャスタウェイの鞍上からその姿を見守ることになりました。キングヘイローディヴァインライトの時から続けて2回目です。

本当にユーイチは大舞台では主役になれないジョッキーなのではないか、脇役的に華麗な勝ち方をすることはあっても、武豊の様に本当のスーパースターになれないのではないか......馬の事、そして人間関係を何よりも大事にし、実直に努力する職人の様なジョッキーであり、天才福永洋一のようにはなれないのは仕方ないのではないか......そんな事を感じて、少し競馬から距離を置くような時期が僕にとっての2010年代中盤の競馬でした......


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そんな感じでなんとなくぼんやりと重賞だけは見るかというスタイルになっていた2017年夏、一頭の馬のデビュー戦がnetkeibaで取り上げられていたのが目につきました。そしてレース映像を確認し、もしかしたら、今度こそこの馬とならダービーを勝てるのではないか......そんな馬が現れました。そう、ワグネリアンです。

ワグネリアンは2戦目の野路菊Sも圧勝、3戦目は嘗てキングヘイローと共に初重賞勝利を飾った東スポ杯。名馬モーリスの弟ルーカスとの対決も圧勝したワグネリアンは名実ともに翌年のダービー候補の一番手に名乗りを上げました。

しかし、やはりワグネリアンも一筋縄ではいきませんでした。年明け初戦の弥生賞では朝日杯FSの勝ち馬ダノンプレミアムに完敗。ダノンプレミアムが回避した皐月賞では押し出されるように1番人気になるも、7着に惨敗。やはり今年もダメなのか......そんな事を思いながらダービーを迎えました。

 

ダービー前、枠順が発表された際、8枠17番、内枠が絶対有利なダービーでこれは致命的でした。「無理や、ユーイチがこんな逆境跳ね返せないよ...」正直こんなことを思いつつも、人気だったダノンプレミアムも、ブラストワンピースもローテー的に隙がありそうだからワンチャンあるかなと思い、皐月賞エポカドーロとの馬連を手にダービーの時間を迎えました。

外枠スタートながら思い切って出していくユーイチ。追い込みに近い差し馬で、強烈な末脚を東京でならいかせるかという周囲の予想を裏切り、まさかの先行。戦略のユーイチらしいといえばそうですが、長年ファンとして見守ってきた経験は「人気馬での積極策はことごとく失敗しているんだけど......」と正直なりました。それでも、VTRを見ればわかりますが、落ち着いて2コーナーで折り合いを付け、内を走る有力馬の進路を封じつつ、直線では絶好の追い出し。最後に粘るエポカドーロを競り落とした所がゴール。遂にユーイチがダービーを勝つ瞬間を見守ることが出来ました。


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この時、直線に入ってから、正直実況の声は頭にはいってきませんでした。もうひたすらTVの前で絶叫していました。「差せる!いける!勝てるぞ!いけー!」デビューから見守ってきた22年分の想いが口から自然と出ていました。そして1着でゴールを駆け抜けた瞬間、「嘘だろ、勝っちまった。ユーイチが勝ったよ、ダービー!」ウインイングランでゴーグルの裏に涙を流しているのが明かなユーイチを姿をみて、本当に本当に嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。ずっと競馬を、ユーイチを見続けてきたよかった...本当にありがとう...そんな気持ちであふれていました。

 

そしてこのダービーの勝利が福永祐一というジョッキーを大きく変えてしまったかのように、その後大活躍をしているのはみなさんもご存じの通りですが、正直その活躍が今でも信じられないというのもファンとしてはちょっとあります。でも、ワグネリアンは苦境の時期からずっと支えてくれた友道厩舎の管理馬であり、10年以上の苦労がその裏にあるんだと思うと、やはりこれもまたユーイチらしい結末だったなと今では思います。当時はそんなの全部関係ないくらいただただ嬉しかったし、同時に信じられないという想いの方が強かったです。

 

 

5.コントレイルと駆け抜けた軌跡

そんな覚醒ユーイチとでもいうべき新たなステージに入ったユーイチが出会った二頭目のダービー馬にして、無敗の三冠馬がコントレイルです。矢作厩舎とユーイチと言えばやはりリアルスティールで、ダービーを勝てなかっただけでなく、ドバイターフでG1を勝った時も鞍上にいたのは世界の名手ライアン・ムーアでした。

実際東スポ杯でコントレイルの鞍上にいたのもムーアでした。ただ、この時のムーア騎乗がむしろいい方にでたというのが覚醒したユーイチにとって僥倖だったよな気がします。この東スポ杯でユーイチがコントレイルに乗っていない理由は二つ。直接的には騎乗停止を食らっていて乗りたくても乗れなかったこと。もう一つは、この時ユーイチにはもう一頭のお手馬ラインベック(アカイトリノムスメの全兄)がいて、そちらが先約だったことがあげられます。

後者に関しては実際にユーイチが騎乗停止でなければコントレイルの方を選んでいた可能性もありますが、これまでのユーイチのスタイルを考えるとラインベックの方にのっていたのではないかとも思えます。なので、騎乗停止で選択する必要がなかったこと、その上で矢作先生、前田オーナーが短期免許のムーアを載せた上で次のレースからはユーイチに戻すことを決断したことが本当に大きかった。

特に前田オーナーの心意気、「ユーイチ、一緒にダービーを獲るぞ」という想い。人間関係を重視し、馬を育てることに定評があったユーイチの人柄と、オーナーブリーダーとして前田オーナーの懐の広さ。この二つが合わさったのはコントレイル以前から積み重ねてきた歴史があってこそでしょう。

 

この後のコントレイルの活躍についてはみなさんご存じの通りです。スタートから出て行かなかったのに3コーナーから圧倒的なまくりをみせた皐月賞、何の不安もなく直線突き抜けたダービー、適正外にも関わらず最後まで抜かせなかった菊花賞。三冠はどのレースも全く違う側面をみせての勝利であり、こうした多様な強さをみせて全部勝つということが三冠馬という存在の特別さであり、強さなのです。得意な条件でだけ勝てる馬では三冠馬にはなれない、世代レベル云云以上に圧倒的なスケールの大きさがなければなれないのが三冠馬なのです。

そんな三冠馬の鞍上に25年間ずっと見てきたユーイチの姿があった。しかも、もうワグネリアンの時の涙もないし、もちろん若い頃の慌てふためき自滅する姿もない。コントレイル関係のインタビューがずっとそうでしたが、非常に楽しそうで、ずっとワクワクしているユーイチの姿がコントレイル関係ではずっとみられました。


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少しだけ血統の話をしておきましょう。コントレイルの母ロードクロサイトは現代アメリカ競馬の粋を極めたような配合の馬です。

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父は北米リーディングサイアーにも複数回輝いている名種牡馬Unbridled's Song。母父は北米に根付く異系マッチェム系の最新系にして史上初のBCクラシック連覇のTiznow、そして母母父はディープとのニックスでもおなじみのStorm Cat

この時点で北米屈指の良血がずらりと並んでいますが、更に凄いのが3代母のJeano。この馬はFappiano×バジー(母父In Reality)ですが、この配合がUnbridled's Songの父Unbridledと似たような血統構成をしています(ニアリークロス)。Unbridled、そしてその父Fappianoというのは現代北米でも最強クラスの快速血統であり、その北米最強のスピードの血を突き詰めた配合をしているのがJeanoであり、コントレイルの母ロードクロサイトなのです。もっといえば、Jeanoの牝系は溯ると歴史的名牝La Troienneにたどり着くという由緒正しき牝系です。

グランアレグリアもそうですが、コントレイルも現代アメリカ競馬においても最高峰の血統の母にディープインパクトを掛け合わせて生まれた馬であり、北米競馬と欧州競馬の結節点である現代日本競馬ならではの最高傑作とも言うべき配合で、父ディープインパクト(北米2冠馬サンデーサイレンス×英国王室所縁のウインドインハーヘア)同様に配合的にも日本競馬の至宝とも言うべき馬なのです。

 

そんな馬ですが、一筋縄できた馬ではありませんでした。1歳秋~2歳春まで脚元の不安でまともに調教ができず、デビュー後も常に脚元をケアしながらの調教を続けていました。血統的には北米の血が強いので早熟気味の配合ですが、馬の成長の度合いは決してそうではなく、むしろ晩成気味といっても過言ではないくらい大事に大事に育てられてきた馬です。また、母方の血統は2000メートルまでが主流のアメリカのスピード競馬に特化した血統であり、必ずしも2400メートルや3000メートルのレースに向いているわけでもありません(アメリカのダート競馬は長くても2000メートルまで)

そんな北米的スピードの絶対能力を突き詰めた配合のコントレイルは、頭の良さと運動神経の良さを武器に、毎回毎回レースの距離にあった調教をほどこすことでなんとか適応して3冠レースを駆け抜けきました。古馬になって、少しずつ馬体が完成に近づき、調教時計も縮めてきましたが、それは逆にいえば体は母譲りのスピードが強化され適正距離が短くなっていくことを意味します。そんな中で、雨の影響が大きかった大阪杯、直前の雨で重さの残った天皇賞秋と敗れてしまいました。


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ただ、実際のレースをみていれば分かるのですが、コントレイルはずっと真面目に、最後までしっかり走っています。どちらのレースも脚自体は最後あがっているのですが、馬がレースを辞めるというそぶりは見せていませんでした。大阪杯はかなりの特殊馬場なので置いておくとしても、天皇賞秋については勝ったエフフォーリアが途轍もなく強かっただけで、コントレイルも十分に力を出していました。なので、普通なら負けても強かったで済むレースなのです。ただ、あまりにも期待が高まりすぎる無敗の三冠馬だっただけで......

今回のジャパンカップでコントレイルに、そして陣営にかかるプレッシャーは想像に絶します。レース後・引退式でのインタビューが全てを物語っています。これまでずっと楽しそうにコントレイルについて語ってきたユーイチが、あんなにも感情を表にだして「コントレイルは凄い馬なんです」と精一杯の伝える姿に、見ている方も涙が止まりませんでした。


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ワグネリアンのダービーを経て、騎乗技術も馬を育てる力も一つ上に行った感があったユーイチが、矢作厩舎・ノースヒルズのスタッフと一丸となってこの2年半つぎ込んできた全てが爆発した直線の末脚。ゴール直前に頭を下げ、何かを確かめるかのように首を振ったユーイチの姿。エピファのダービーで頭を下げた時とは全く違った感情だと思いますが、あの時と同じ様に凄まじ感情の渦がユーイチの中に去来したのではないでしょうか......僕はVTRを何度見返してもまだ完全には感情を処理できていません。

でも、確かなことは、ユーイチがスタッフと一緒にこんな歴史的な名馬を育て、乗り、ビックタイトルを獲得したこと。そしてこのレースを最後に引退していくこと。


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コントレイルたどってきた軌跡は、福永祐一というジョッキーがたどってきた軌跡と被ります。天才の息子として生まれ、期待され、でも本当は努力の人で、多くの人の支えがあって初めてここまでの結果を残す事ができた。そして、そうした関係性の中で成果を残せたことを誰よりも喜び、インタビューでもそれを隠さずに話す。

福永祐一というジョッキーは日本競馬史の中で天才と言われるジョッキー、例えば父洋一や武豊に比べると技術や発想では劣るだろうし、他の誰にも真似できない特別な騎乗はできないかもしれません。でも、コントレイルという馬は、多分福永祐一が矢作厩舎やノースヒルズと一緒でなければここまでドラマチックな馬にならなかったと思いますし、同時にそれはユーイチの25年のジョッキー人生がなければ実現しなかったと思います。

そんなユーイチの姿を25年間、ファンとしてずっと見守って来れたことが何よりも幸せです。わぁドレ血統研究所でもたまに「血統は好きだし、血統通りにレースが決まるのはもちろん嬉しいんだけど、そんなの関係なくスケールの大きな馬がスケールの大きな勝利をみせて欲しい」といっていますが、コントレイルと福永祐一はまさに血統を超える様な勝利をみせてくれたと思います。

ここに書いてきた文章は、あくまで1人の競馬ファン・ユーイチファンの視点でみたコントレイルと福永祐一の姿です。競馬の醍醐味は、馬とジョッキーや調教師・スタッフ、そして競馬ファンの数だけ物語を紡ぐことが出来ることだと思います。

またこんな素敵な物語を紡ぐことのできる馬、ジョッキーと巡り会いたいですし、コントレイルならきっとそんな凄い産駒を出してくれると信じています。そして出来るならその鞍上、もしくは調教師としてユーイチの姿があればいいなと思います。

 

本当にありがとう、ユーイチ。ずっとファンでいてよかった。お疲れ様、コントレイル。産駒に出資出来るのを楽しみに待ってる。